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更新日:2020年05月28日

貝塚市の新しい登録文化財 寺田家住宅

貝塚市新町にある寺田家住宅主屋ほか計7棟が、平成23年3月18日におこなわれた国の文化審議会において、「国の歴史的景観に寄与しているもの」および「造形の規範となっているもの」として、登録有形文化財(建造物)に登録するよう文部科学大臣に答申されました。

寺田家は、岸和田を中心として築かれた寺田財閥の一族である楠治が大正初年に分家した家で、「寺楠」の屋号で呼ばれました。楠治は、分家にともない現在の屋敷地に近い麻生郷村海塚の地で鉄工所を営み、大正15年(1926年)の資料には「寺田金属工場/鋳造業/従業職工数9名」と記されています。

現在地に屋敷地を求めたのは昭和9年(1934年)頃で、新宅をのぞく建造物は昭和11年(1936年)に建築されました。当初の敷地は、昭和14年(1939年)から同18年(1943年)の国道26号線(現在の府道204号堺阪南線)の敷設によって分断され現状の屋敷地規模となりました。当時の屋敷地周辺には工場のほか、従業員が住む社宅や集会所がありました。

寺田財閥関連の建物は、岸和田市南町にある本家寺田家住宅、同市岸城町にある自泉会館、元睦会館、五風荘等がありますが、当家住宅は、貝塚市津田南町の寺田紡績株式会社工場とともに、市内に残る寺田財閥関連の遺構として位置づけられるものです。

(1)主屋 1棟 昭和11年(1936年)

主屋は敷地の北側に位置し、木造二階建、屋根は切妻・寄棟・入母屋の複合形式、洋風のスパニッシュ桟瓦の銅板腰葺で、外壁は漆喰壁です。1階は玄関まわりのポーチ・玄関・ホールを経て、応接部、座敷部、居室部の3つの部分から成り、2階は中廊下を介して居室4室で構成されています。ポーチから応接部は外観をスパニッシュ様式とし、開口部には円形やアーチ形のステンドグラス窓などが設けられています。座敷部は応接部とは対照的に和風意匠が用いられ、茶室が設けられています。また、2階座敷には花頭窓(かとうまど)という寺院建築の意匠が用いられています。このように、主屋は多彩な様式を一つにまとめた建造物となっています。

庭からみた寺田家住宅主屋の外観の写真
寺田家住宅主屋の部屋のようすの写真

写真撮影:絞野達也

 

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