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更新日:2020年05月28日

古絵図をひも解く

根福寺城絵図の写真

◆根福寺城(こんぷくじじょう)絵図(岸和田市教育委員会所蔵)

右の絵図は、現在の貝塚市秬谷(きびたに)に位置する戦国時代の山城、根福寺城を描いた絵図です。右下に大川村の集落、中央に根福寺城、根福寺城の外縁にそって街道「水間道」「秬谷道」と河川(近木川・秬谷川)が描かれています。山は緑色、川は水色、街道や山の尾根に築かれた城郭部分は黄色に着色されています。

 

また、この絵図が江戸時代に作成されたものであるため、「城跡」の表記のほか、「砦(とりで)壁門址(あと)」「矢倉台」などの痕跡が描かれており、城の大きさや距離がこと細かく記されている特徴をもっています。また、右上に「根来寺僧徒ノ所築」とあり、根来寺勢力の拠点として橋本の積善寺(しゃくぜんじ)城とともに根来衆の城と位置づけられていたことがはっきりします。16世紀中期、水間や岸和田から紀州へ向かうルートであったことから、この地域を治めようとする三好氏の勢力と根来寺の勢力とが激突することとなり、この城の攻防が地域を支配する上で重要視されていたのでしょう。

 

◆古文書講座(第33回)開催のお知らせ
「岸和田藩の七人庄屋-苗字・帯刀と格式-」

江戸時代、岸和田藩では領内の最も有力な庄屋七人を選び、その者たちを「七人庄屋」と呼び、領内村々の支配の一部を担当させました。七人庄屋は岸和田城内の「郷会所」へ月に数回集まり、藩からの触れを村々に伝達したり、村々からの願書や訴状を藩に届けるなど、村々の利害調整に奔走しました。

 

こうした働きへの功労として、藩から様々なほうびが与えられました。藩主に対する年頭・暑中・寒中・帰城などの節のあいさつ、武士に認められている帯刀や、苗字を公式に名乗ることが許されるようになりました。どのようにして、苗字・帯刀などの特権が許されていくのか、当時の古文書をテキストにそのしくみを探っていきます。

 

日時:平成22年1月9日-第1回、1月16日-第2回、1月23日-第3回、
1月30日-第4回、2月13日-第5回、いずれも土曜日午後2時~4時30分
場所:貝塚市民図書館2階視聴覚室
申込:住所、氏名、電話番号を明記の上、はがき・Eメール・ファックス・電話いずれかで、
下記まで事前にお申込みください。
連絡先
〒597-8585 大阪府貝塚市畠中1-12-1(貝塚市民図書館2階)貝塚市郷土資料室
電話 072-433-7205 / ファックス 072-433-7107

この記事に関するお問い合わせ先

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電話:072-433-7126
ファックス:072-433-7053
〒597-8585
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