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更新日:2020年05月27日

要家文書が貝塚市指定文化財に

要家文書を紹介する貝塚市史や要家文書目録などの写真

要家文書を紹介する書籍・冊子類

有形文化財(古文書)
要家文書 一括(39,801点) 中世から近世
個人所蔵

 

貝塚市教育委員会では貝塚市文化財保護条例にもとづき、平成21年3月30日付けで要家文書39,801点を貝塚市指定文化財に指定しました。

要家文書は昭和15年から着手した『貝塚町史』、および昭和30年~33年にかけて刊行した『貝塚市史』編さん事業において、市内にのこる中世から近代にかけての大規模古文書として認識され、その歴史的価値は当時から高く評価されていました。貝塚市教育委員会では昭和37年にその概略を『要家文書目録』にまとめました。

平成13年度から平成17年度の5か年にわたり、要家文化財総合調査を行ない、古文書・庭園・埋蔵文化財・建造物・植生など、分野別に詳細に調査し、あらゆる角度からその歴史的価値を検討しました。

編さん事業や総合調査を通して、要家文書が岸和田藩政に深く関わる七人庄屋(下の〈要家の概要〉参照)に関する史料と、畠中村・神前村庄屋に関する大量の村方の史料とを合わせた貴重な古文書であることが明らかになりました(詳細については4・5ページをご覧ください)。

この結果を踏まえ、今回、要家にのこる古文書を貝塚市文化財に指定しました。指定資料については、その一部をすでに古文書講座のテキストとして紹介しているほか、今後は、郷土資料展示室の展示会などで公開する予定です。

小出秀政の100石の役負担免除の許可状の写真

小出秀政の100石の役負担免除の許可状

要家に「御弁当所」を命じる通達の写真

要家に「御弁当所」を命じる通達

要家の概要

要家は、中世土豪の系譜を引き、代々「源太夫」を名乗り、畠中村・神前村庄屋をつとめました。近世初頭の慶長5年(1600年)、岸和田城主小出秀政(こいでひでまさ)から持高100石分の役負担が免除され、以来その特権は幕末に至るまで許されていました。岡部氏が岸和田藩主になってからは、鷹狩りの際に「御弁当所」(休憩所)に位置づけられ、藩主一行は狩場への道中で要家に立ち寄りました。さらに、寛政元年(1789年)には信達市場(しんだちいちば)村信左衛門に代わって七人庄屋の列に加わりました。七人庄屋とは、岸和田藩領内の最も有力な庄屋の七人を指す言葉で、他藩では多く「大庄屋」と呼ばれています。一般の庄屋と異なり、藩領の村落支配に深く関わり、岸和田城内の郷会所(ごうかいしょ)へ月に数日出勤しました。七人庄屋は要源太夫のほか、熊取谷の中左近・中(降井)左太夫、佐野村の吉田久左衛門・藤田十郎太夫、樽井村の脇田右馬太郎、岸和田村の岸六右衛門がいます。

この記事に関するお問い合わせ先

教育部 文化財保存活用室

電話:072-433-7126
ファックス:072-433-7053
〒597-8585
大阪府貝塚市畠中1丁目17番1号 本館5階

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