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更新日:2020年05月28日

願泉寺表門の修復年代について~願泉寺の古文書から~

貝塚寺内絵図(願泉寺周辺)の写真

願泉寺表門は、当初の建築年代は不明ですが、慶安元年(1648年)の貝塚寺内絵図にはすでにその姿が描かれています(左写真参照)。また、天保年間(1830年~1844年)にまとめられた「貝塚大工之由緒書・大覚寺宮令旨之写・棟梁系図」という記録には「古御堂之塀地門」という表現があり、現本堂の前身本堂〈伝承では慶長3年(1598年)の再建〉にも表門や築地塀が付属しており、少なくとも江戸時代初期にはすでに存在していたものと考えられます。

その後、延宝年間ごろに再建されたという記録がいくつか残っています。上記「貝塚大工之由緒書…」には延宝3年(1675年)、また寛延3年(1750年)前後に記された「手鑑(てかがみ)」と「万記録(よろずきろく)」には延宝6年(1678年)と延宝7年(1679年)という再建年代が記されています。いずれの年代が正しいかは不明ですが、表門に備え付けられた龍の彫物が元禄3年(1690年)に製作されていることから、おそらく17世紀後半にはその再建がなされたものと推測されます。

今回の修理事業の過程で、表門の屋根瓦は寛政3年(1791年)に葺き替えが行なわれたことが明らかになりました(2ページ参照)が、古文書からは安政6年(1859年)に彫物や部材の一部が修復されたことが明らかになっています。関係する古文書としては、見積もり書など6点が残っており、修復にかかわった大工名や工人数のほか、修復にかかる費用や寺内の町人などから集められた寄付金額など、さまざまなことを知ることができます。なかには、彫物や修復箇所を絵図面で記したもの(下写真参照)もあり、具体的な修復のようすがわかります。修復は安政6年1月から3月にかけて行なわれましたが、3月から4月にかけては願泉寺において浄土真宗の開祖親鸞の六百回忌が執行されていることから、この法要を目前に控えての修復だと考えられます。こうした本願寺門主の法要にあわせた修復は、上記の屋根瓦の葺き替え(本願寺11代顕如の二百回忌)や本堂の修復にも見られることから、願泉寺の建造物の修復時期を知る上での大きな特徴のひとつとなります。

以上が古文書から判明する表門の修復年代の全てですが、現在進められている修復事業で得られる成果とあわせることで、今後その修復の歴史をより詳しいものにできることでしょう。

安政6年の修復に関する古文書のひとつ

表門の彫刻に関する見積書の写真

写真の古文書は、岸和田大工である「宇蔵」から「御役人様」(貝塚寺内地頭・願泉寺住職卜半家の家来衆)に宛てて出された表門の彫物に関する見積もり書です。表門脇の小板(右)および唐扉上の物見(左)部分に新調された彫物の図面とその代金が記載されています。ここに記載された彫物は現在も表門に残っています。

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