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更新日:2020年05月28日

願泉寺鐘楼の発掘調査

基壇底部断面略図の画像

基壇底部断面略図

鐘楼基壇南面断面の写真

鐘楼基壇南面断面

平成21年9月に鐘楼の基壇(きだん)について

  1. 基壇底部の発掘調査
  2. 積石の取替えの調査
  3. 北西隅と北東隅の礎石(そせき)の据え直しの調査を実施しました。

基壇底部の発掘調査は、基壇の石階段の南側において調査区(1.5平方メートル)を設定しました。
調査区の地層は大きく3層に大別できました。現地表面より下、第1層は近現代の遺物が出土しており、基壇築造以降に盛土されたものと考えられます。第2層は基壇の築造に伴う造成された層と考えられます。第2層は土質が固く締まっており、その上面より積石を設置するための掘り込みを発見しました。第3層の砂層は、鐘楼の築造以前に堆積したものと判断できます。
今回の調査では、基壇底部の根石(ねいし)注1を確認するとともに、基壇の下から2段目の半分の高さまで近現代の盛土が覆っていたことがわかりました。

積石の取替えの調査を行いました。基壇の上から2~3段目(石階段を含む)までを解体し、断面状況を確認しました。
基壇上層において焼土層を確認しました。この層は太平洋戦争の際に空襲により鐘楼が焼失したときの焼土と炭と考えられます。さらに現在の礎石を支える石材を据えるための穴には、焼土や炭が多量に混入していたため、南東の礎石は、鐘楼焼失後に据え直されたものと判断されます。
基壇の断面は、5~30センチメートル大の割石を大量に含む層と割石を多く含まず土質が固く締まっている層と土質にあまり締まりがない層とに大別でき、これらを交互に積上げている可能性があります。
積石の解体時に瓦片、陶磁器、銭貨などの遺物が出土しています。しかし、基壇上面の遺物などが混入している可能性があり、基壇の築造時期は出土遺物から確認することはできませんでした。

北西隅と北東隅の礎石の据え直しの調査を行いました。
北西隅の礎石の周囲には、礫(れき)などとともに石製礎盤(せきせいそばん)注2と礎石の上部が埋められていました。出土した石製礎盤や礎石の上部は、空襲による焼失以前の鐘楼のものと推測されます。
北東隅の礎石については、現在の礎石の下に焼失前の鐘楼の根石を発見し、移動されていないことが土質の観察などで確認できました。

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