現在の位置

3ページ

更新日:2020年05月28日

「こも池」部分拡大図の写真

「こも池」部分拡大図

 元禄国絵図は、元禄9年11月に5代将軍綱吉によって作成が命じられたもので、翌10年4月には国ごとに絵図元(えずもと:国絵図および郷帳を作成し幕府に調進する役割を担った担当責任者のこと)が任命されて作成が始まりました。和泉国については、当時の岸和田藩主である岡部長泰(おかべながやす)がその任につきました。元禄国絵図の作成にあたって幕府は、正保国絵図を基準として、それと新町・村、道筋、川筋、池沼などに違いがあれば絵図に記すことを命じました。それをうけた長泰が国内の各村々に調査と絵図の調進を命じたと考えられます。当時、各村が提出した絵図の控えの一部が今回紹介するものです。

要家文書に残る絵図は畠中村・神前村と脇浜村(表紙参照)の2点が残っており、両絵図とも元禄11年9月付です。畠中村・神前村の絵図は、ほぼ中央に「畠中村」が、東南側に「こも池」・「今池」が、四方に周辺の町村として「寺内貝塚」・「沢村」・「堤村」・「鳥羽村」が描かれています。また、脇浜村の絵図は、中央やや左に「脇浜村」と「新町」が、南側に「更池」と「かこ池」(=籠池)が、三方に「寺内貝塚」、「かち村」(=加治村)、「沢村」が描かれています。いずれも簡略な図ではありますが、集落やため池はある程度形を意識して描かれ、畠中・神前村と脇浜村は茶色、ため池は薄い茶色、周辺の町村は橙色に塗られています。また、集落地内には各池との距離や方角を測るための「針場」(基点)の位置を示すため、丸印が付されています。例えば畠中村の絵図の「こも池」部分(上図版参照)には「針場より辰(=東南東よりやや東より)ニ当 道法(みちのり)弐町半/見渡同断(=弐町半)」と記載されています。さらに、ため池には周囲の距離や数ヵ村の「立合(共同で利用すること)」を明記しています。また、正保国絵図作成時にはすでにあったことを示すために、池名の右に「古」と記されています。

このように、両絵図とも簡略なものですが、江戸時代の村の姿を伝える貴重な資料です。なお、両絵図は、2月6日(土曜日)より開催する下記の貝塚市郷土資料展示室の特別展で展示予定です。

平成21年度貝塚市郷土資料展示室特別展のお知らせ 要家文書に見る岸和田藩領の村とその生活

要家文書は、江戸時代に畠中村(現貝塚市畠中)・神前村(現貝塚市加神の一部)の庄屋、そして岸和田藩の七人庄屋をつとめた要家が所蔵する古文書です。今回の特別展では、貝塚市指定文化財である要家文書をもとに江戸時代の岸和田藩領における村とその暮らしぶりを紹介します。

会期

平成22年2月6日(土曜日)~3月28日(日曜日)

会場

貝塚市郷土資料展示室(貝塚市民図書館2階)

開室時間

午前9時30分~午後5時

観覧料

無料

休室日

毎火曜日

2月11日(木曜日・祝日)

2月19日(金曜日)~3月3日(水曜日)〔市民図書館の特別整理休館〕

3月21日(日曜日・祝日)

この記事に関するお問い合わせ先

教育部 文化財保存活用室

電話:072-433-7126
ファックス:072-433-7053
〒597-8585
大阪府貝塚市畠中1丁目17番1号 本館5階

メールフォームによるお問い合わせ