秦廃寺出土瓦片 軒丸瓦片・軒丸瓦片(附)
秦廃寺出土瓦片 軒丸瓦片 12点
秦廃寺出土瓦片 軒平瓦片 14点
軒丸瓦片(紀寺式)
軒平瓦片(三重弧文)
軒平瓦片(均正唐草文)
はたはいじしゅつどかわらへん のきまるがわらへん・のきひらかわらへん
種別
貝塚市指定文化財 附(考古資料)
所有者氏名
個人(貝塚市教育委員会寄託)
寄託者住所
貝塚市畠中1-17-1
時代
飛鳥時代から奈良時代
指定年月日
平成11年9月20日
和泉秦寺は、7世紀後半から8世紀初頭に造営された秦氏の氏族寺院で、「広隆寺末寺并別院記(こうりゅうじまつじならびにべついんき)」には天武天皇8年(679年)に秦勝賀佐枝(はたのすぐりかさえ)によって建立されたと記されています。秦廃寺出土の瓦は、昭和初期に半田集落の南部の田より発見されたもので、貝塚市域最古の寺院の存在を証明する貴重な資料です。
軒丸瓦片
7世紀後末から8世紀初頭にかけて使われた紀寺(きでら)式と、8世紀前半に使われた池田寺式の2種類が認められます。紀寺式は、中心に複弁六葉蓮華文、その外側に雷文がほどこされたもので、下記の重弧文軒平瓦と組み合わせて葺かれていました。また池田寺式は、指定品の軒丸瓦と同じく、中心に単弁八葉蓮華文、その外側に唐草文を施したもののほか、中心が細弁十四葉蓮華文のもの、中房の蓮子に環がないものの3種類があります。
軒平瓦片
三重弧文と均正唐草文(きんせいからくさもん)の2種類が認められます。三重弧文は、弓なりの弧を描く線が3重になった文様です。また均正唐草文は、唐草文が中央から左右対称に展開し、外側に鋸歯文(きょしもん)や珠文(しゅもん)がほどこされています。
これらは破片ではありますが、秦廃寺の実態を解明するうえで大変貴重な資料です。
広隆寺末寺并別院記
京都市右京区太秦にある秦氏の氏寺「広隆寺」が所蔵する古文書の一つ
秦勝賀佐枝
広隆寺末寺并別院記に「和泉秦寺」の建立者として記載のある秦氏の一族
均正唐草文
左右対称の唐草文様
鋸歯文
のこぎりの歯のような文様
珠文
小さな丸い粒状の文様
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更新日:2019年07月18日