水間寺行基堂(開山堂)
水間寺行基堂(開山堂) 1棟
水間寺行基堂(開山堂)
みずまでらぎょうきどう
種別
建造物
所有者氏名
宗教法人水間寺
所有者住所
貝塚市水間638
時代
江戸時代 17世紀中期
規模
3間×3間
指定年月日
平成10年2月23日
水間寺は、山号を「龍谷山」といい、天台宗延暦寺末で別格本山の寺院です。寺伝によれば、聖武天皇の勅願、行基(ぎょうき)の開基とされます。創建以来、古代から中世にかけては多くの院坊と寺領を有していたようです。15世紀末に紀州根来寺の支配下となったことで、天正13年(1585年)の豊臣秀吉の紀州攻め時にはその伽藍(がらん)はことごとく焼失し、元禄年間(1688年~1704年)には歴代岸和田城(藩)主の保護を受け、本堂以下おもな諸堂が再建されました。しかし、天明4年(1784年)の火災によって本堂や三重塔などは焼失しました。その後、本堂は文化8年(1811年)、三重塔は天保年間(1830年~44年)に再建され、現在にいたります。
行基堂は、秬谷(きびたに)川をはさんだ西側の山腹に位置します。3間四方、寄棟造(よせむねづくり)本瓦葺の小堂で、組物(くみもの)の様式から考えると、天正年間以前の建築を江戸時代前期に改築した可能性があります。しかしながら、水間寺でもっとも古いもので、中世の水間寺の有り様を伝える建造物として貴重です。また、内部には江戸時代前期の制作と考えられる木造行基坐像が安置されています。
伽藍
寺院の建物の総称
組物
斗(ます)や肘木(ひじき)などの部材で構成されるもので、柱の上にのり屋根や軒を支える構造物
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更新日:2020年06月01日