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水間寺弁財天宮殿

更新日:2020年06月01日

水間寺弁財天宮殿 1棟

水間寺弁財天宮殿の写真

水間寺弁財天宮殿

みずまでらべんざいてんくうでん

種別

建造物

所有者氏名

宗教法人水間寺

所有者住所

貝塚市水間638

時代

江戸時代 17世紀後期

規模

1間×1間

指定年月日

平成10年2月23日

 

水間寺は、山号を「龍谷山」といい、天台宗延暦寺末で別格本山の寺院です。寺伝によれば、聖武天皇の勅願、行基(ぎょうき)の開基とされます。創建以来、古代から中世にかけては多くの院坊と寺領を有していたようです。15世紀末に紀州根来寺の支配下となったことで、天正13年(1585年)の豊臣秀吉の紀州攻め時にはその伽藍(がらん)はことごとく焼失し、元禄年間(1688年~1704年)には歴代岸和田城(藩)主の保護を受け、本堂以下おもな諸堂が再建されました。しかし、天明4年(1784年)の火災によって本堂や三重塔などは焼失しました。その後、本堂は文化8年(1811年)、三重塔は天保年間(1830年~44年)に再建され、現在にいたります。

弁財天宮殿は、行基堂の東上方にある弁天堂内にあり、内部には木造弁財天坐像(江戸時代前期の制作)を安置しています。桁行(けたゆき)1間、梁間(はりま)1間、入母屋造(いりもやづくり)こけら葺、妻入(つまいり)の建物で、全面に彩色がほどこされています。様式から見て江戸時代前期のもので、岸和田藩主岡部氏によって再建された当時の建築様式や信仰を伝えるものとして貴重です。なお、弁天堂は、3間四方、寄棟造(よせむねづくり)本瓦葺の小堂で、宮殿と同時期の建物ですが、近年、前面の拝堂増築に際して改造されています。

伽藍

寺院の建物の総称

妻入

建物の妻(棟に対して直角の側面)に出入口を設けて、それを正面とするもの

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