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尊光寺 絹本著色方便法身尊像

更新日:2019年12月09日

尊光寺 絹本著色方便法身尊像 1幅

尊光寺絹本著色方便法身尊像

そんこうじ けんぽんちゃくしょくほうべんほっしんそんぞう

種別

絵画

所有者氏名

宗教法人尊光寺

所有者住所

貝塚市中町6-12

時代

大永4年(1524年)

法量

タテ87.6センチメートル ヨコ38.0センチメートル

指定年月日

平成15年2月6日

 

尊光寺は、山号を「二位山」といい、浄土真宗本願寺派の寺院です。もとは高野山の学頭(がくとう)であった正了(せいりょう、しょうりょう)という僧を開基とする真言宗寺院でしたが、明応2年(1493年)、嘉祥寺(現在の泉南郡田尻町)において、本願寺第8世蓮如の教えを受けて浄土真宗に改宗したと伝わります。大永4年(1524年)、本願寺第9世実如より、開基仏(本尊)として方便法身尊像を与えられ、寺号を尊光寺と改めました。もとは麻生郷新井村(あそごうにいむら、現在の貝塚市新井)にありましたが、天正16年(1588年)、貝塚寺内(じない)の現在地に移転しました。江戸時代は興正寺末の寺院で、麻生郷7ヵ村にあった真宗道場を支配していました。

尊光寺の方便法身尊像は、淡い紺色の地に、48条(じょう)の光明(こうみょう)を放ち、蓮台(れんだい)に両足を揃えて立つ姿の、本願寺系の典型的な阿弥陀如来の絵像です。光明が像の中央を上下に通らない描き方が、文明初年(1473年頃)以降に本願寺より与えられる方便法身尊像の特徴を示しています。像が全体的に短身でずんぐりとしたスタイルに仕上げられていることや、衣紋(えもん)の文様に細かい截金(きりがね)技法を使用するなど、16世紀前半期の特徴を持っています。

また、裏書の墨書(ぼくしょ)により、 大永4年5月12日、本願寺第9世実如によって、当時「二位村」(新井村)にあった尊光寺に与えられた絵像とわかります。貝塚市内に残る最古の方便法身尊像で、市内に残る数少ない室町時代以前の仏教絵画のひとつとして貴重です。

 

学頭

寺院や神社において学事を統率するくらいにあるもの

截金

金などの箔を細い線状や、さまざまな形の小片に切ってはりつける技法

墨書

墨で書いたもの

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