吉祥園寺十六羅漢画像
吉祥園寺十六羅漢画像 16幅
きっしょうおんじじゅうろくらかんがぞう
種別
絵画
所有者氏名
宗教法人吉祥園寺
所有者住所
貝塚市王子703
時代
鎌倉時代
法量
タテ88.9センチメートル ヨコ42.4センチメートル(第1尊者の本紙)
指定年月日
平成11年9月20日
吉祥園寺は白鳳時代の創建と伝えられ、鎌倉時代には寺勢が興隆(こうりゅう)します。藤原定家(ふじわらのていか)の「後鳥羽院熊野御幸記(ごとばいんくまのごこうき)」に吉祥音寺の名で登場します。現在は、真言宗御室派に属しています。
十六羅漢は釈迦の伝法を守り伝える使命をもち、玄奨訳「法住記」(げんじょうやく「ほうじゅうき」)を典拠(てんきょ)としています。我が国の十六羅漢画像には漢画系と大和絵系があります。大和絵系は柔和な表情と温雅な画風を特徴とし、東京国立博物館本(11世紀)の系統と兵庫県斑鳩寺本(12世紀)の系統があります。吉祥園寺の作品は斑鳩寺本の系統で、浄瑠璃寺(じょうるりじ)三重塔初重(しょじゅう)壁画(12世紀)に次ぐ古例です。保存状態は良好とは言えませんが、16幅一揃いが残っており、類品の少ない十六羅漢画像の優品として、仏教美術史上貴重なものです。
興隆
勢いが盛んになり栄えること
後鳥羽院熊野御幸記
平安時代の歌人である藤原定家が執筆した建仁元年(1201年)の後鳥羽上皇による熊野参詣の様子を記した日記。貝塚市域にあった「浅宇河(麻生河)王子」・「鞍持王子」・「胡沐(近木)新王子」を参詣し、「コ木二王(近木仁王)堂」・「吉祥音(園)寺」で昼食をとったことが記される
玄奨訳「法住記」
三蔵法師として知られる中国唐時代の僧侶玄奘(600年~664年)が訳した経典の一つ
典拠
出典
浄瑠璃寺
京都府木津川市加茂町西生(にしお)にある真言律宗の寺院
初重
多層塔の第一層部分
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更新日:2020年05月29日