現在の位置

願泉寺 絹本著色 湛如上人画像、附収納箱

更新日:2019年12月09日

願泉寺 絹本著色 湛如上人画像 1幅、附収納箱

願泉寺絹本著色湛如上人画像

がんせんじ けんぽんちゃくしょく たんにょしょうにんがぞう、つけたりしゅうのうばこ

種別

絵画

所有者氏名

宗教法人願泉寺

所有者住所

貝塚市中町5-1

時代

延享元年(1744年)

法量

タテ111.8センチメートル ヨコ55.1センチメートル

指定年月日

平成16年1月30日

 

願泉寺は、山号を「金凉山」といい、浄土真宗本願寺派の寺院です。貝塚寺内町(じないまち)の中心寺院で、天正11年(1583年)から天正13年まで紀州より本願寺第11世顕如(けんにょ)らが移住し本願寺が置かれました。慶長12年(1607年)には西本願寺第12世准如(じゅんにょ)より寺号を授けられ、慶長15年(1610年)、住職卜半(ぼくはん)家の2代了閑(りょうかん)は徳川家康より寺内諸役免許(しょやくめんきょ)の黒印状(こくいんじょう)を与えられ、以後卜半家は貝塚寺内の地頭(領主)となり、明治4年(1871年)までその支配が続きました。江戸時代初期には本願寺が東と西に分かれましたが、願泉寺は戦前まで東西本願寺に属していました。

願泉寺の湛如上人画像は、西本願寺第16世湛如を描いたものです。大紋高麗縁(だいもんこうらいべり)の上畳(あげだたみ)に、色衣(しきえ)と色袈裟(げさ)を着けて、左手には念珠(ねんじゅ)、右手には桧扇(ひおうぎ)を持ち、右ななめを向いて座る姿を描いています。保存状態は良好で、後世の補彩(ほさい)などは認められません。

裏書より、延享元年(1744年)9月10日、卜半を願主(がんしゅ)として、本願寺第17世法如より願泉寺の寺物として与えられたものとわかります。

湛如は寛保元年(1741年)6月に没し、弟の静如(じょうにょ)が本願寺の寺務を継承しましたが、静如にさまざまな問題が生じたため、寛保3年(1743年)、第13世良如の孫にあたる法如が第17世を継承しました。

この画像は、こうした湛如没後の継承問題が解決した翌年、いち早く製作され、願泉寺に与えられたものです。

現在残されている収納箱も当時のものであり、西本願寺での取次として兵部卿法橋(ひょうぶきょうほっきょう)という名がみられ貴重です。

 

黒印状

黒い印肉をつけて押された印のある文書

大紋高麗縁

花紋の大きな高麗錦(こうらいにしき)という織物を使用した縁

上畳

畳の上の敷き重ねる畳

念珠

数珠のこと

桧扇

細長いヒノキの薄板をとじ連ねて作った扇

願主

仏像や寺院を建立するなどして善行を積もうという願いを起こす人のこと。ここでは画像を寄付した人

兵部卿法橋

浄土真宗本願寺派の家臣、下間頼英(しもつまよりひで)か

この記事に関するお問い合わせ先

教育部 文化財保存活用室

電話:072-433-7126
ファックス:072-433-7053
〒597-8585
大阪府貝塚市畠中1丁目17番1号 本館5階

メールフォームによるお問い合わせ