要家住宅
要家住宅 表書院ほか計11件
要家住宅表書院
要家住宅離れ書院
要家住宅表長屋門
要家住宅内長屋門
かなめけじゅうたく
種別
登録有形文化財(建造物)
所有者氏名
個人
所有者住所
貝塚市畠中2丁目
時代
〔表書院〕江戸時代中期
〔離れ書院〕元文3年(1738年)
〔内蔵〕江戸時代中期
〔唐戸蔵〕江戸時代末期
〔道蔵〕江戸時代後期
〔道具蔵〕江戸時代末期
〔表長屋門〕江戸時代後期
〔内長屋門〕江戸時代末期
〔中門〕江戸時代後期
〔庭門及び塀〕江戸時代末期
〔土塀〕江戸時代末期
構造
〔表書院〕木造平屋建、銅板葺一部瓦葺
〔離れ書院〕木造平屋建、瓦葺
〔内蔵〕土蔵造二階建、瓦葺
〔唐戸蔵〕土蔵造二階建、瓦葺
〔道蔵〕土蔵造二階建、瓦葺
〔道具蔵〕土蔵造二階建、スレート葺
〔表長屋門〕土蔵造平屋建、瓦葺
〔内長屋門〕木造平屋建、瓦葺
〔中門〕木造平屋建、瓦葺
〔庭門及び塀〕庭門 木造、瓦葺 塀 土塀、瓦葺
〔土塀〕土塀、瓦葺
登録年月日
平成29年6月28日
要家は、江戸時代、岸和田藩領内の畠中村と神前(こうざき)村の2か村の庄屋を代々務め、寛政元年(1789年)に藩の七人庄屋(しちにんじょうや)に加えられた家です。七人庄屋は、藩領内の有力庄屋7人が村落支配全体に深く関わる制度として確立しており、明治維新まで要家は、七人庄屋の一員として岸和田藩行政の役割を担いました。
要家住宅は、要家の屋敷地内にある建造物群です。その屋敷地は、一辺約90メートルにも及ぶ広大なもので、南東側の中央に表長屋門を構え、その左右よりのびる本瓦葺の土塀が全体を囲んでいます。主屋(しゅおく)は敷地のほぼ中央に建ち、その南西側に表書院、北西側に離れ書院と内蔵、内蔵の北東側に唐戸蔵(かねのとぐら)、道蔵(みちぐら)、道具蔵の3棟がコの字形に建ちます。内長屋門は表長屋門の背後にT字形に接続し、中門(なかもん)は表書院の南西側に建ち、また庭門及び塀は中門の南西側の壁から北西にのびています。
要家住宅を構成する主屋をのぞく主要な建物は、いずれも江戸時代に建築されたもので、岸和田藩の七人庄屋屋敷の全体構成をうかがうことができる歴史的重要性が極めて高いものです。
更新日:2020年05月29日