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廣海家住宅

更新日:2019年06月17日

廣海家住宅 主屋 1棟、居間蔵 1棟、中蔵 1棟、下蔵 1棟、新蔵 1棟、離れ 1棟、納屋 1棟、高塀 1棟

廣海家住宅

ひろみけじゅうたく

種別

登録有形文化財(建造物)

所有者氏名

個人

所有者住所

貝塚市西町

時代

〔主屋〕文久元年(1861年)

〔居間蔵〕江戸時代末期

〔中蔵〕江戸時代末期

〔下蔵〕江戸時代末期

〔新蔵〕明治時代後期

〔離れ〕明治時代後期

〔納屋〕明治時代中期

〔高塀〕明治時代前期

構造

〔主屋〕木造平屋建、瓦葺

〔居間蔵〕土蔵造二階建、スレート葺

〔中蔵〕土蔵造二階建、瓦葺

〔下蔵〕土蔵造二階建、瓦葺

〔新蔵〕土蔵造二階建、瓦葺

〔離れ〕木造二階建一部平屋建、 瓦葺

〔納屋〕土蔵造平屋建、瓦葺

〔高塀〕土塀、瓦葺

登録年月日

平成15年7月1日

 

廣海家は、天保6年(1835年)、貝塚寺内の有力町人明瀬(みょうせ)家の娘ひろが、摂津国鳴尾(せっつのくになるお、現在の兵庫県西宮市鳴尾町)の酒造家辰馬半右衛門(たつうまはんえもん)家から養子を迎え、貝塚寺内の地頭(じとう)であった願泉寺卜半(ぼくはん)家から廣海姓を賜り、諸色問屋(廻船問屋)業を開業したことに始まります。慶応年間(1865年~68年)には4隻の大型和船を所有し、北陸地方、東北日本海岸、北海道産の米穀や肥料を扱っていました。明治16年(1883年)には海運業から撤退しましたが、戦前まで肥料問屋を営み、一方で貝塚銀行など地元企業の設立にも積極的に関わるなど、泉南地域の近代化にも深く貢献しました。

当家住宅は旧近木之町筋(こぎのちょうすじ)に面し、屋敷地は東西約73メートル、南北約36メートルで、ほぼ一街区を占めます。主屋は北面し、東より5間が付属屋、続く13間が本屋で一続きの屋根が架かっています。このほか、離れや土蔵などが敷地内に配置されています。

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