願泉寺本堂
願泉寺本堂 1棟
願泉寺本堂
がんせんじほんどう
種別
重要文化財(建造物)
所有者氏名
宗教法人願泉寺
所有者住所
貝塚市中町5-1
時代
江戸時代 寛文3年(1663年)
規模
桁行27.8メートル
梁間27.0メートル
指定年月日
平成5年8月17日
願泉寺は、山号を「金凉山」といい、浄土真宗本願寺派の寺院です。貝塚寺内町(じないまち)の中心寺院で、天正11年(1583年)から同13年まで紀州より本願寺第11代顕如(けんにょ)らが移住し本願寺が置かれました。慶長12年(1607年)には西本願寺第12代准如(じゅんにょ)より寺号を授けられ、同15年(1610年)住職卜半(ぼくはん)家の2代了閑(りょうかん)は徳川家康より寺内諸役免許の黒印状(こくいんじょう)を与えられ、以後同家は貝塚寺内の地頭(領主)となり、明治4年(1871年)までその支配が続きました。江戸時代初期には本願寺が東・西に分かれましたが、願泉寺は戦前まで東・西本願寺に属していました。
本堂は、寛文3年(1663年)~翌4年(1664年)にかけて再建されたもので、桁行(けたゆき)27.8メートル、梁間(はりま)27.0メートルの規模の大きな建物で、屋根は入母屋造(いりもやづくり)、本瓦葺とし、正面に向拝(こうはい・ごはい)一間を備えています。内陣、余間廻りには丸柱を用い、その正面および内部を彫物や金箔、極彩色で華やかに装飾し、前面には広い外陣(げじん)を備え、周囲に広縁(ひろえん)、落縁(おちえん)を廻すなど本山格の大型真宗本堂の一典型として高い評価を受けています。改造は少なく、外陣廻りの蔀戸(しとみど)も含め建立当初の姿をよくとどめています。
黒印状:黒い印肉をつけて押された印のある文書
向拝:社殿や仏堂の正面で、屋根を前に張り出した場所。参拝者が本殿に向かって礼拝するところ
蔀戸:柱の間に入れる間仕切りの一つで、両面あるいは一面に格子を組み、上部から釣り下げ、上にはねあげるようにして開くようにした板戸
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更新日:2019年12月09日