願泉寺 絹本著色 親鸞聖人画像
願泉寺 絹本著色 親鸞聖人画像 1幅
がんせんじ けんぽんちゃくしょく しんらんしょうにんがぞう
種別
絵画
所有者氏名
宗教法人願泉寺
所有者住所
貝塚市中町5-1
時代
室町時代
法量
タテ115.4センチメートル ヨコ54.9センチメートル
指定年月日
平成16年1月30日
願泉寺は、山号を「金凉山」といい、浄土真宗本願寺派の寺院です。貝塚寺内町(じないまち)の中心寺院で、天正11年(1583年)から天正13年まで紀州より本願寺第11世顕如(けんにょ)らが移住し本願寺が置かれました。慶長12年(1607年)には西本願寺第12世准如(じゅんにょ)より寺号を授けられ、慶長15年(1610年)、住職卜半(ぼくはん)家の2代了閑(りょうかん)は徳川家康より寺内諸役免許(しょやくめんきょ)の黒印状(こくいんじょう)を与えられ、以後卜半家は貝塚寺内の地頭(領主)となり、明治4年(1871年)までその支配が続きました。江戸時代初期には本願寺が東と西に分かれましたが、願泉寺は戦前まで東西本願寺に属していました。
願泉寺の親鸞聖人画像は、浄土真宗の開祖親鸞を目の粗い絹の上に描いたものです。礼盤(らいばん)という台の上に繧繝縁(うんげんべり)の畳を敷き、黒衣(こくえ)・墨袈裟(すみけさ)を着けて、両手で念珠(ねんじゅ)を繰りながら、右ななめを向いて座る姿が描かれています。
退色により全体的にやや顔料(がんりょう)が剥落(はくらく)していますが、製作当初の状態で残されており、後世の補彩などはみられません。
当初の裏書は、花押(かおう)を含む「本願寺証如」という本願寺第10世証如の木版が押されているのみであることから、証如の晩年から死没直後の16世紀後半に製作された画像だと考えられています。
また、表画面上部の讃銘(さんめい)、表画面左端中央部の「和朝親鸞聖人」という札銘(さつめい)、裏書にある慶長12年(1607年)12月25日付の墨書銘(ぼくしょめい)は、西本願寺第12世准如が追記したものです。
とくに、裏書の墨書銘は「願泉寺」の寺号の初見です。同じ年の8月に与えられた親鸞聖人絵伝(貝塚市指定文化財)の裏書に寺号が書かれていなかったことを考えると、この親鸞聖人画像の裏書が追記されると同時に寺号が許可されたものと考えられ、貝塚寺内の中核をなす願泉寺の歴史的性格を考察するにあたり非常に重要な歴史史料の一つと考えられます。
黒印状
黒い印肉をつけて押された印のある文書
礼盤
寺院本尊の前に置かれ、僧侶が礼拝し読経するために座る台
繧繝縁
繧繝錦(うんげんにしき)という織物を使用した縁
念珠
数珠のこと
剥落
はがれおちること
花押
署名の一種で、名前の字を図案化したもの
讃銘
「讃」は、絵のかたわらに、その絵の題、あるいはその絵にちなんで書かれた詩・歌・文章のこと。ここでは、浄土真宗の経典の一部を書き写した文章を指す
墨書
墨で書いたもの
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更新日:2019年12月09日