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丸山古墳

更新日:2020年05月29日

丸山古墳

上空から見た丸山古墳の写真

まるやまこふん

種別

史跡

所有者氏名

貝塚市

所有者住所

貝塚市畠中1-17-1

時代

古墳時代前期後半(4世紀後半)

指定年月日

昭和31年5月15日

 

丸山古墳は全長約70メートル、後円部の直径約43メートル(高さ5メートルで3段築成)、前方部の最大幅約27メートル(高さ約4メートル)という大きさの前方後円墳で、古墳時代前期後半(4世紀後半)の築造です。

昭和31年(1956年)5月15日付で国の史跡指定を受け、昭和33年(1958年)より貝塚市が史跡管理団体として管理をしています。

平成14年度の発掘調査では埴輪列を発見し、古墳時代前期後半の築造であることが確定しました。古墳からは円筒埴輪や朝顔形埴輪のほか、全国的にも珍しい冠帽形埴輪などの形象埴輪(いずれも貝塚市指定文化財)が多数出土しています。

古墳の南側に位置する貝塚市立南小学校の敷地内からは古墳時代中期5世紀の埋没古墳6基(地蔵堂古墳群1号墳~6号墳=円墳4基、方墳2基)が発見され、丸山古墳を中心とした古墳群の存在が判明しています。各古墳からは古墳に供えられていた各種須恵器類(貝塚市指定文化財を含む)が出土しています。これらの古墳群の発見により、4世紀後半から5世紀にかけて地蔵堂周辺に強い権力を持つ者が存在していたことがわかっています。

なお、伝承では、天正13年(1585年)の羽柴(豊臣)秀吉の紀州攻めにおいて、秀吉自らがこの古墳に本陣を置き、橋本の積善寺城を攻めたといいます。

この記事に関するお問い合わせ先

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