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第87号 ト半役所と御下筋 |
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■ 現在の市立北小学校の敷地は、もとは願泉寺の境内で1871(明治4)年までは、通称「卜半役所」とよばれる貝塚寺内の政庁が置かれていました。1854(嘉永7)年の願泉寺蔵「吟関国絵図(ぎんかんこくえず)」では、北小学校の正門が役所の表門の位置にあたることがわかります。正門から校舎を抜けると役所跡の石垣が残る段丘があります。段丘には石段が設けられ運動場へ続きますが、江戸時代にはこの石段上に中門があり、校庭から願泉寺の本堂背後部分にかけて建物が建ち並び、多くの部屋があったといわれています。 「御下筋」は、北小学校の正門に面し、願泉寺や卜半役所が建つ段丘の下に位置しているために、この名がついたそうです。街路の両側には、両替商(金融業)を営んだ信貴(しぎ)家や油絞り業の帯谷家、醤油醸造業の岡本家など江戸時代の面影を残した民家が残っています。「御下筋」は、市道の名称になっています。 (平成20年10月掲載) |