![]() |
第76号 橋本正高顕彰碑 |
![]() |
■橋本一族は橋本出身といわれる土豪で、南北朝時代に南朝方の楠木正成率いる武士団に属し活躍していました。特に橋本正高は、土丸城(つちまるじょう:泉佐野市土丸に築かれた山城)の戦いで知られています。 1353(正平8)年に北朝方の日根野氏から城を奪うと、正高は大がかりな城郭の整備を行い自らの勢力を拡大しました。1375(天授元)年に土丸城が落城すると正高は紀伊へ下りましたが、翌年挙兵し再び城を手に入れました。 しかし、1379(天授5)年に足利義満率いる大軍に攻撃され、再び落城。このとき正高軍は夜襲や奇襲などで善戦しましたが、兵数や食料に乏しく城を捨て逃亡したといわれています。その後も土丸城の奪還を試みましたが成功しませんでした。1380(天授6)年に北朝方と高名里(現在の海塚付近)で戦い、討死したと伝えられています。 顕彰碑は、1926(大正15)年に地元の有志によって海塚に建てられました。後の昭和30年代に海岸寺山(半田)へ移され現在に至っています。 なお、上善寺(南町)には正高の位牌や墓石が残されています。 (平成19年11月掲載) |