貝塚市

第72号 廣海家文書

■廣海家は、1835(天保6)年より創業した貝塚寺内の有力商家です。創業当初は、貝塚港に運ばれた積荷を船主から預かり、預かった積荷を仲買に販売する廻船(かいせん)問屋経営を主に行っていました。預り荷の中心は北陸米で、北前船によって日本海から瀬戸内海を通って畿内に運ばれてきました。 明治に入ると、1870年代には米から肥料取引に転換し、農家の肥料小売販売を行うために干鰯(ほしか)店を始めました。肥料は主に貝塚寺内の商人に売られ、それ以外に岸和田や泉佐野、尾崎、紀州北部までの大阪湾沿岸に取引先が広がっていきました。 廣海家文書には、このような江戸時代末期から近代にかけて、泉南地域最大の米穀・肥料商として活躍した同家の経営活動の具体的内容とその変遷ぶりが系統的に記されています。 これらが評価され、廣海家文書一括(76,026点)は、平成18年11/10に市の指定文化財になりました。 [備考]なお、貴重な資料のため現在一般公開はしていません。今後、郷土資料室などで一般公開する際は、広報紙などでご案内します。
(平成19年7月掲載)