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ニチボー貝塚、その後
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ニチボー貝塚、その後
東京オリンピックを終えたニチボー貝塚の大松博文監督は、前人未踏の6人制公式戦通算175連勝の記録を残して、1964年(昭和39年)12月後任の座を小島孝治氏に譲り、翌年にはニチボー株式会社を退社しました。同時に、主力メンバーであったキャプテンの河西昌枝選手をはじめ、宮本恵美子、谷田絹子、半田百合子、松村好子の5名の選手もチームを引退しました。
ニチボー貝塚は小島新監督のもと、その後も常勝を続け、1966年(同41年)8月の世界選手権選考会でヤシカに敗れるまで、公式戦258連勝を記録しました。1969年(昭和44年)10月には社名変更によりチーム名を「ユニチカ貝塚」へ変更しました。1977年(昭和52年)以降は「ユニチカ」)が、その後も多くの大会で好成績を残しました。1991年(平成3年)からは「ユニチカ・フェニックス」の愛称で親しまれ、1994年(平成6年)から開催されるようになったVリ-グ(現在のV・プレミアリーグおよび V・チャレンジリーグ)でも活躍しました。しかし、長引く不況の影響で企業スポーツチームの休廃部が相次ぐ中、「東洋の魔女」と呼ばれたニチボー貝塚の伝統を引き継ぐチームも2000年(平成12年)7月をもって活動を停止しました。同年9月、チームは東レ株式会社へ完全移籍し、「東レ・アローズ」(滋賀県大津市)として現在も活躍しています。
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更新日:2012年4月2日











