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かいづかし歴史年表

ご要望の多い貝塚市の歴史について年表を作成しました。太字は貝塚市にかかわるできごとです。学校教材にも使えるように表現をやさしくしてありますので、さらに詳しくお知りになりたい方は、文化財担当にお問い合わせください。

小中学生が理解できるように作成しています。プリントアウトしてつないで年表を作ってみてください。

 

旧石器時代 

貝塚市域にも人がすみはじめる(狩りや採集を中心として生活)

→地蔵堂遺跡や王子遺跡でナイフ型石器がみつかる

 

縄文時代 

集落をつくって、生活をはじめる

脇浜遺跡、海塚遺跡、加治・神前・畠中遺跡、三ヶ山西遺跡で縄文土器がみつかる

 

弥生時代 

近木川や津田川ぞいに集落がつくられる

→沢遺跡や加治・神前・畠中遺跡、石才南遺跡、土生遺跡で生活あとがみつかる

紀元前300年ごろ:稲作がはじまる

57年:倭(わ)の奴(な)国王、中国の後漢(ごかん)に使いをおくり、金印をもらう

239年:邪馬台国(やまたいこく)の女王卑弥呼(ひみこ)が、中国の魏(ぎ)に使いをおくる

 

古墳時代 

全国に前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)がつくられはじめる

4世紀:(地蔵堂)丸山古墳がつくられる

350年ごろ:大和朝廷が日本を統一する

5世紀前半:堀遺跡、石才南遺跡で竪穴住居あとなどがみつかる

5世紀後半:地蔵堂古墳群(現在、6基の古墳を発見)がつくられはじめる

このころの書物に、貝塚市域にも豪族がくらしていたことが書かれる

538年:仏教がつたわる(一説では552年)

587年:物部(もののべ)氏が討たれ、部下の捕取部萬(ととりべのよろず)も忠犬とともになくなる(津田校区に石碑がある)

 

飛鳥時代 

593年:聖徳太子(しょうとくたいし)が摂政(せっしょう)になる(~622年)

607年:中国の隋(ずい)にはじめて遣隋使(けんずいし)がおくられる

630年:中国の唐(とう)にはじめて遣唐使(けんとうし)がおくられる

645年:大化(たいか)の改新がはじまる

646年:国郡里の制度ができ、和泉は河内国の一部になる

7世紀後半:加治・神前・畠中遺跡で掘立柱建物群(役所跡?)がみつかる

672年:壬申(じんしん)の乱がおこる

679年:半田に秦廃寺(はたはいじ)がたてられる

701年:大宝律令(たいほうりつりょう)がさだめられる

708年:水間の水間寺がたてられる(一説には729~749年)

 

奈良時代 

710年:平城京(奈良)に都がうつされる

712年:「古事記」ができる

720年:「日本書紀」ができる

726年:木積(こつみ)に観音寺(いまの国宝孝恩寺観音堂(釘無堂)はお堂のひとつ)がたてられる

このころ、永寿池ができる

8世紀後半:加治・神前・畠中遺跡で大井戸がみつかる

752年:東大寺(奈良)の大仏ができる

757年:和泉国ができる

759年頃:「万葉集」ができる

 

平安時代 

794年:平安京(京都)に都がうつされる

805年:最澄(さいちょう)が天台宗をひらく

806年:空海(くうかい)が真言宗をひらく

9世紀前半:加治・神前・畠中遺跡で掘立柱建物群、帯飾、硯(役所跡?)がみつかる

9世紀:このころから木積(こつみ)の観音寺(いまの孝恩寺)の仏像群<重要文化財>がつくられはじめる

894年:遣唐使が廃止される

900年頃:このころから熊野もうで(和歌山の熊野の3社へおまいりすること)がさかんになる

927年:書物に阿理莫(ありまか)神社のことが書かれる

935年:平将門(たいらのまさかど)の乱がおこる(~940年)

935年:紀貫之(きのつらゆき)が書いた「土佐日記」という本に、貝塚の海岸ぞいの松原を通ったことが書かれる

939年:藤原純友(ふじわらのすみとも)の乱がおこる(~941年)

1016年~1027年:藤原道長(ふじわらのみちなが)が政治をおこなう

1086年:白河上皇(しらかわじょうこう)が院政(いんせい)をはじめる

1122年:地蔵堂に勝軍(しょうぐん)寺(いまの正福寺)がたてられる

1149年:蕎原(そぶら)に釈迦堂がたてられる

1156年:保元(ほげん)の乱がおこる

1159年:平治(へいじ)の乱がおこる

1167年:平清盛(たいらのきよもり)が太政大臣(だじょうだいじん)になる

1176年:法然(ほうねん)が浄土宗をひらく

1185年:平家がほろぶ、全国に守護と地頭がおかれる

 

鎌倉時代 

1192年:源頼朝(みなもとのよりとも)が鎌倉幕府をひらく

1201年:後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)が熊野もうでのため貝塚市域を通り、石才王子のあたりで昼食をとる

1219年:北条(ほうじょう)氏が執権(しっけん)政治をはじめる

1221年:承久(じょうきゅう)の乱がおこる

1232年:御成敗式目(ごせいばいしきもく)がさだめられる

1274年:文永(ぶんえい)の役がおこる

1281年:弘安(こうあん)の役がおこる

1290年:根来(ねごろ)寺(和歌山県)がたてられる

13世紀後半ごろ:市内に麻生庄(あそのしょう)、木島庄(きのしまのしょう)、近木庄(こぎのしょう)などの荘園(しょうえん)ができる

1333年:鎌倉幕府がほろぶ

1334年:建武(けんむ)の新政

1336年:楠木正成(くすのきまさしげ)とともに貝塚出身の武士も戦死する

 

室町時代 

1338年:足利尊氏(あしかがたかうじ)が室町幕府をひらく

1392年:南北朝が統一される

1431年:「かいつか」の名まえがはじめて記録にあらわれる

1467年:応仁(おうにん)の乱がおこる(~1477年)

このころから貝塚市域に浄土真宗がひろまる

1497年:大坂に大坂(石山)本願寺がたてられる

1535年:松浦肥前守守(まつらひぜんのかみまもる)が秬谷(きびたに)に野田山城というお城をつくる

1540年ごろ:海塚(かいづか)村の紀州街道(きしゅうかいどう)ぞいに寺内町(じないまち)ができる

1543年:種ヶ島(たねがしま)に鉄砲がつたえられる

1543年:根来寺(和歌山県)が野田山城をうばい、名まえを根福寺(こんぷくじ)城とする

→このころ、市内各地に名越(なごせ)の千石堀(せんごくぼり)城、橋本の積善寺(しゃくぜんじ)城、畠中の畠中城など、根来寺のお城がたてられる

1549年:キリスト教がつたえられる

1550年:寺内町のお寺(いまの願泉寺、ぼっかんさん)に浄土真宗の本願寺から「方便法身尊像」(ほうべんほっしんそんぞう)とよばれる阿弥陀如来(あみだにょらい)という仏さまの絵がご本尊(ほんぞん)としてあたえられる

1560年:桶狭間(おけはざま)の戦い

1573年:室町幕府がほろぶ

 

安土桃山時代 

1577年:織田信長(おだのぶなが)が寺内町をせめる

1580年:寺内町が復興される

1582年:本能寺(ほんのうじ)の変がおこる

1583年:寺内町のお寺が本願寺になる(~1585年)

1583年:豊臣秀吉(とよとみひでよし)が大阪城の築城をはじめる(~1588年)

1585年:このころ貝塚市域の百姓たちが根来寺のお坊さんとともに、市域各地のお城にたてこもり、豊臣秀吉軍とたたかい、やぶれる

1585年:小出(こいで)氏という大名が岸和田城の城主になる

1585年:本願寺が貝塚から大坂の天満(大阪市)にうつる

1590年:豊臣秀吉が全国を統一する

1592年:文禄(ぶんろく)の役(豊臣秀吉の朝鮮侵略)がおこる(~1593年)

1594年:和泉国で太閤検地(たいこうけんち)がおこなわれる

1597年:慶長(けいちょう)の役(豊臣秀吉の朝鮮侵略)がおこる(~1598年)

1600年:関ヶ原(せきがはら)の戦い

 

江戸時代 

1603年:徳川家康(とくがわいえやす)が江戸幕府をひらく

1610年:願泉寺の卜半家(ぼくはんけ)が寺内町の領主になる

1615年:大坂夏の陣

1619年:松井氏という大名が岸和田城の城主になる

1637年:島原の乱がおこる(~1638年)

1640年:岡部氏という大名が岸和田城の城主となる(このあと明治維新まで寺内町をのぞき、貝塚市域の村々は岸和田藩領となる)

1641年:鎖国(さこく)が完成する

1649年:慶安御触書(けいあんのおふれがき)がさだめられる

1657年:半田に海岸寺(将軍の位牌をまつるお寺、明治にこわされる)がたてられる

1661年:岸和田藩主の岡部行隆(ゆきたか)が弟2人に領地をわけあたえ、沢村が岡部高成(たかなり)領となり(明治維新まで同家の領地となる)、岸和田藩の石高が五万三千石ときまる

1662年:岸和田藩がはじめて藩札(はんさつ)を発行する

1663年:いまの願泉寺の本堂が再建される

1688年~1703年:元禄時代

1704年:大和川のつけかえ工事がおこなわれ、岸和田藩も工事を手伝う

1716年:享保(きょうほう)の改革がはじまる(~1745年)

1741年:感田(かんだ)神社の祭礼に太鼓台(たいこだい)がかつぎだされる(太鼓台の最古の記録)

1742年:公事方御定書(くじがたおさだめがき)がさだめられる

1750年頃:城中や町方(1743年)につづき、村方や浜方でもだんじりがかつぎだされるようになる

1756年:脇浜新町に岩橋善兵衛(いわはしぜんべい)がうまれる

1772年:田沼意次(たぬまおきつぐ)が老中(ろうじゅう)となる

1782年:天明(てんめい)の大飢きんがおこる

1782年ごろ:貝塚市内の村々も凶作がつづく

1787年:寛政(かんせい)の改革がはじまる(~1793年)

1793年:岩橋善兵衛がはじめて天体望遠鏡をつくる

1805年:伊能忠敬(いのうただたか)が和泉国を測量する(岩橋善兵衛の望遠鏡や測量器具がつかわれる)

1821年:伊能忠敬測量の日本地図ができる

1825年:外国船打払令がだされる

1833年:天保(てんぽう)の大飢きんがおこる

1836年ごろ:寺内町で貧しい人々をたすけるため、募金やお米の支給がおこなわれる

1837年:大塩平八郎(おおしおへいはちろう)の乱がおこる

1841年:天保の改革がはじまる(~1843年)

1841年:岸和田藩が町や村にたいして質素倹約のお触れをだす

1853年:ペリーの黒船が浦賀(うらが)にくる

1854年:日米和親条約がむすばれる

1854年:岸和田藩が和泉の海岸防衛のために出兵する

1858年:日米修好通商条約がむすばれる

1858年:安政(あんせい)の大獄がおこる

1860年:桜田門外(さくらだもんがい)の変がおこる

1866年:江戸や大坂で打ちこわし運動がおこる

1866年:寺内町の浜辺に人々があつまり、町年寄(ちょうどしより)や米屋をおそう

1867年:徳川慶喜(よしのぶ)が大政奉還(たいせいほうかん)をする

 

明治 

1868年:大阪府より堺県を分離し、寺内町と沢村は堺県となる

1869年:岸和田藩主岡部長職(ながもと)、版籍奉還(はんせきほうかん)し岸和田藩知事となる。

1871年:貝塚郷学(市内ではじめてできた学校、いまの北小学校)ができる

1871年:廃藩置県により、堺県下の貝塚寺内と沢村をのぞき、市内は岸和田県(のち堺県に)となる

1886年:堺県が廃止され、大阪府に合併される

1889年:大日本帝国憲法ができる

1889年:町村制により、貝塚市域に貝塚町、麻生郷(あそごう)村、島村、木島村、西葛城村、北近義(きたこぎ)村、南近義(みなみこぎ)村の7つの町と村ができる

1894年:日清戦争がはじまる(~1895年)

1897年:南海鉄道株式会社の難波~貝塚間に蒸気鉄道が開通する

1904年:日露戦争がはじまる(~1905年)

1909年:貝塚市域にはじめて電気がとおる

1911年:貝塚市域にはじめて電話がとおる

 

大正 

1912年:貝塚市域にはじめてガスがとおる

1913年:津田の寺田紡績工しょう(現在のテラボウ)が操業をはじめる

1914年:第一次世界大戦がはじまる(~1918年)

1920年:国際連盟ができる

1923年:関東大震災がおこる

1924年:水間鉄道株式会社ができる

1925年:水間鉄道の名越-海塚間が開通する

 

昭和 

1926年:水間鉄道の水間-名越間が開通する

1929年:世界恐慌がおこる

1930年:阪和電鉄(今のJR阪和線)が開通し、和泉橋本駅ができる

1931年:貝塚町、麻生郷村、島村、北近義村、南近義村が合併し、貝塚町ができる

1931年:満州事変がおこる

1932年:五・一五事件がおこる

1933年:日本が国際連盟を脱退する

1934年:南海電鉄貝塚駅に水間鉄道の乗り入れがきまる

1934年:阪和電鉄(現在のJR阪和線)の(東)貝塚駅ができる

1935年:木島村が貝塚町に合併される

1936年:二・二六事件がおこる

1936年:貝塚市域にはじめて上水道がとおる

1937年:日中戦争がはじまる

1938年:南海電鉄二色の浜駅が常設駅となる

1939年:西葛城村が貝塚町に合併される

1939年:第二次世界大戦がはじまる(~1945年)

1940年:阪和電鉄が南海鉄道に合併されて南海山手線となる

1943年:貝塚市ができる(大阪府下では9番目)

1944年:南海山手線、国鉄阪和線となる

1945年:貝塚市内海塚、近木、中、西、東が空襲の被害をうける

1945年:日本が降伏する

1946年:日本国憲法ができる

1964年:東京オリンピックでニチボー貝塚チームを主力とする全日本女子バレーボールチームが金メダルをとる

 

平成 

1989年:「二色」のまちびらきがおこなわれる

1993年:市制50周年

1994年:関西新空港が開港する

2003年:市政60周年

2008年:「東山」のまちびらきがおこなわれる 

現在!

 

お問合わせ先

教育部 社会教育課 文化財担当

電話:072-433-7126
ファックス:072-433-7107
〒597-8585
大阪府貝塚市畠中1丁目17番1号 教育庁舎1階 

更新日:2012年5月31日

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