感田神社濠(貝塚寺内町環濠跡)
感田神社濠(貝塚寺内町環濠跡)
かんだじんじゃほり(かいづかじないちょうかんごうあと)
種別
史跡
所有者
宗教法人感田神社
所在
貝塚市中町10-1
時代
中世から近代
規模
現存長34.2メートル 幅約5.5メートル 深さ1.3メートルから1.5メートル
指定年月日
平成27年3月6日
感田神社は、貝塚寺内町の南東端に位置し、海塚村(かいづかむら、現在の貝塚市海塚)の牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)と堀村(現在の貝塚市堀)の天神社から祭神を迎えて、ほこらを造ったのが始まりとされる貝塚寺内町の産土神(うぶすながみ)です。
貝塚寺内町は願泉寺(がんせんじ)を中心として、戦国時代から江戸時代にかけて発展し、町の周囲に濠をめぐらせていました。願泉寺が所蔵する慶安元年(1648年)の絵図には、感田神社の周囲に濠が描かれています。江戸時代、近代を経て貝塚寺内町の濠は埋め戻され、感田神社の濠は戦前まで境内の三方に残っていましたが、中町通りの拡張時などに埋められ、現在は境内に取り入れられた大阪側の濠が残るのみとなりました。
現在残っている濠は、両岸に石垣が積まれています。国登録有形文化財の参集殿(さんしゅうでん)のある大阪側は、もともと寺内町の外側にあたり、建物の移転にともなって石垣が築かれたと考えられ、谷積みという近代の積み方になっています。一方、和歌山側の石垣は布積みという方法で積まれており、江戸時代に造られたものと考えられます。この濠が貝塚寺内町の環濠の面影を残す唯一の遺構であり貴重なものです。
産土神
その土地に住む人びとが共通の守護神として祀る神
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更新日:2019年12月09日