現在の位置

願泉寺経蔵

更新日:2019年12月09日

願泉寺経蔵 1棟

願泉寺経蔵の外観写真

願泉寺経蔵

がんせんじきょうぞう

種別

建造物

所有者氏名

宗教法人願泉寺

所有者住所

貝塚市中町5-1

時代

江戸時代 貞享5年(1688年)

規模

3間×3間

指定年月日

平成10年2月23日

 

願泉寺は、山号を「金凉山」といい、浄土真宗本願寺派の寺院です。貝塚寺内町(じないまち)の中心寺院で、天正11年(1583年)から同13年まで紀州より本願寺第11代顕如(けんにょ)らが移住し本願寺が置かれました。慶長12年(1607年)には西本願寺第12代准如(じゅんにょ)より寺号を授けられ、同15年(1610年)住職卜半(ぼくはん)家の2代了閑(りょうかん)は徳川家康より寺内諸役免許の黒印状を与えられ、以後同家は貝塚寺内の地頭(領主)となり、明治4年(1871年)までその支配が続きました。江戸時代初期には本願寺が東と西に分かれましたが、願泉寺は戦前まで東西本願寺に属していました。


経蔵は、本堂の前庭部に位置する経典類を納めるための建物です。3間四方の土蔵造で、北側に唐破風(からはふ)(山形の部分)のついた入口があり、方形の屋根(宝形造=ほうぎょうづくり)をあげています。願泉寺所蔵『手鑑』(てかがみ)に「一、経蔵 貞享五年ヨリ七拾一年、三間四面」とあることから、貞享(じょうきょう)5年(1688年)に建てられたことがわかります。床下木部をモルタル塗りしていますが、伽藍(がらん)整備当初からの構成要素として貴重な建造物です。

黒印状:黒い印肉をつけて押された印のある文書
経典:仏の説いた教えを書き記した書物
唐破風:
宝形造:屋根の形式の一種で、隅棟(二つの屋根面が接する部分)が屋根の中央に集まる形式のもの
伽藍:寺院の建物の総称

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