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願泉寺絹本著色顕如上人画像

願泉寺 絹本著色顕如上人画像 

願泉寺絹本著色顕如上人画像

がんせんじ けんぽんちゃくしょくけんにょしょうにんがぞう

種      別  絵画
所有者氏名  宗教法人 願泉寺
所有者住所  貝塚市中846
時      代  文禄2年(1593年)
法      量  105.2×48.8センチメートル
指定年月日  平成16年1月30日

 

願泉寺は、山号を「金凉山」といい、浄土真宗本願寺派の寺院です。貝塚寺内町(じないまち)の中心寺院で、天正11年(1583年)から同13年まで紀州より本願寺第11代顕如(けんにょ)らが移住し本願寺が置かれました。慶長12年(1607年)には西本願寺第12代准如(じゅんにょ)より寺号を授けられ、同15年(1610年)住職卜半(ぼくはん)家の2代了閑(りょうかん)は徳川家康より寺内諸役免許の黒印状を与えられ、以後同家は貝塚寺内の地頭(領主)となり、明治4年(1871年)までその支配が続きました。江戸時代初期には本願寺が東・西に分かれましたが、願泉寺は戦前まで東・西本願寺に属していました。

本願寺第11世

大紋高麗縁(だいもんこうらいべり)の上畳(あげだたみ)に右斜め向きに座す像。本願寺顕如の画像としては、僧綱襟(そうごうえり)の色衣(しきえ)を着けているところが非常に珍しい。背景の金箔は、後世の権威化を意図してなされたものと考えられる。裏書によると、文禄2年(1593年)3月15日に教如によって貝塚の了珍に下付されたものであることがわかる。この画像は、顕如が没して4ヶ月足らずという時期のものであり、文禄2年閏9月に引退させられる教如が、顕如没後に本願寺を完全に継職して寺務を執っている限られた時期にあたり、教如の活動を知ることができるとともに、了珍の本願寺教団における重要性を示す非常に貴重な歴史史料でもある。なお右手に持つ桧扇(ひおうぎ)や念珠(ねんじゅ)の水晶部分及び衣の内着に使用されている白の彩色は、後世の補彩とみられる。



黒印状:黒い印肉をつけて押された印のある文書
大紋高麗縁:花紋の大きな高麗錦(こうらいにしき)という織物を使用した縁
上畳:畳の上に敷き重ねる畳
僧綱襟:幅の広い襟を折らずに立てたまま着る法衣の着方
色衣:位の高い僧侶が着る墨染め以外の色のついた法衣
桧扇:細長いヒノキの薄板をとじ連ねて作った扇
念珠:数珠のこと

 

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更新日:2010年12月21日

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