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廣海家住宅

廣海家住宅 主屋 1棟、居間蔵 1棟、中蔵 1棟、下蔵 1棟、新蔵 1棟、離れ 1棟、納屋 1棟、高塀 1棟 

廣海家住宅

ひろみけじゅうたく

種      別   登録有形文化財(建造物)
所有者氏名   個人
所有者住所   貝塚市西町
時      代   〔主屋〕文久元年(1861年)、〔居間蔵〕江戸時代末期、
           〔中蔵〕江戸時代末期、〔下蔵〕江戸時代末期、〔新蔵〕明治時代後期、
           〔離れ〕明治時代後期、〔納屋〕明治時代中期、〔高塀〕明治時代前期
構      造   〔主屋〕木造平屋建、瓦葺、〔居間蔵〕土蔵造二階建、スレート葺、
           〔中蔵〕土蔵造二階建、瓦葺、〔下蔵〕土蔵造二階建、瓦葺、
           〔新蔵〕土蔵造二階建、瓦葺、〔離れ〕木造二階建一部平屋建、
           瓦葺、〔納屋〕土蔵造平屋建、瓦葺、〔高塀〕土塀、瓦葺
登録年月日   平成15年7月1日

 

廣海家は、天保6年(1835年)、貝塚寺内の有力町人明瀬(みょうせ)家の娘ひろが、摂津国鳴尾(せっつのくになるお、現在の兵庫県西宮市鳴尾町)の酒造家辰馬半右衛門(たつうまはんえもん)家から養子を迎え、貝塚寺内の地頭(じとう)であった願泉寺卜半(ぼくはん)家から廣海姓を賜り、諸色問屋(廻船問屋)業を開業したことに始まります。慶応年間(1865年~68年)には4隻の大型和船を所有し、北陸地方、東北日本海岸、北海道産の米穀や肥料を扱っていました。明治16年(1883年)には海運業から撤退しましたが、戦前まで肥料問屋を営み、一方で貝塚銀行など地元企業の設立にも積極的に関わるなど、泉南地域の近代化にも深く貢献しました。

当家住宅は旧近木之町筋(こぎのちょうすじ)に面し、屋敷地は東西約73メートル、南北約36メートルで、ほぼ一街区を占めます。主屋は北面し、東より5間が付属屋、続く13間が本屋で一続きの屋根が架かっています。このほか、離れや土蔵などが敷地内に配置されています。

 

 

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教育部 社会教育課 文化財担当

電話:072-433-7126
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更新日:2010年12月7日

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